山林が豊かな和歌山県は「木の国」と呼ばれ、それが「紀伊国」の由来になったという説があります。熊野山地は神社信仰の本場であるとともに、沿岸部は古くから都市が発達した、宗教・文化の中心地でした。現代では豊かな自然保護のために開発が制限され、工業生産量では大阪や兵庫には及んでいません。しかし、開発の手が及んでいない熊野山系からは良質な水が豊富に湧き出ているので、ビール造りにとっては非常に都合が良い場所でもあります。
和歌山県のクラフトブルワリーの数は三重や滋賀、奈良よりも多く、特に1996年から営業し続けている「ナギサビール」は有名なブルワリーです。2010年代初頭にいくつかのブルワリーが閉店・製造中止する事態が発生したのですが、2015年以降になると5つものブルワリーが新たに生まれました。また、2つの企業が移転と新装を行い、2011年の水害で一度製造中止した「くまのビール」が「熊野めぐり麦酒」として再生産されるようになるなど、一気に新しい風が吹き込んで大きな変革が生じています。
ナギサビール
ナギサビールは白浜町で1996年に創業した和歌山県のクラフトブルワリー第1号です。日本のクラフトビール解禁の年に創業し、そのまま現在まで営業を続けている老舗の一つでもあります。
創業者の眞鍋和矢さんは神戸で居酒屋チェーンを開いていましたが、震災で被害を受けたのを機に、大阪で会社勤めをしていた弟の公二氏を呼んでナギサビールを創業しました。渚の名は祖父母が興した旅館「渚」に由来するとのこと。息子である父は理髪店「なぎさ」を開店し、孫である和也氏は「ナギサ」の名を受け継いだブルワリーを創業しました。眞鍋家三代にわたる屋号というわけです。
ちなみに白浜町にある白良浜はハワイのワイキキビーチと友好姉妹浜で、ナギサの名前には白浜が誇るきれいな波打ち際のイメージも込められています。
ラインナップは定番2種類と、限定品5種類。基本的には原料は麦とホップだけで、1銘柄を除いて副原料は使っていません。酵母は「澱」を作って沈殿しやすい性質を持つ品種を使っており、フィルターを使って濾過をすることなく、上澄みだけをすくって利用する贅沢な方法で瓶に詰めています。
仕込みに使っている水は、熊野古道・大辺路を水源とする「富田(とんだ)の水」。熊野一帯は霊場であったことから開発の手が及んでおらず、富田の水も汚染されていないので、ほとんどそのまま使われているそうです。
直営レストラン「バーリィ」では、樽生ビールと共に自家製ピクルスやブルスケッタなどのアラカルトメニューから、地元産の食材を使った肉料理や魚料理などのメインディッシュや、お得なランチメニューが揃っています。2015年には工場を新しい場所へと移し、生産能力の拡大を目指しているので、これからいろいろな場所で目にするようになるかもしれません。
ボイジャーブルーイング
ボイジャーブルーイングは2015年に田辺市で創業した新しいブルワリーです。創業したのは、ナギサビールの共同創業者である眞鍋公二氏。公二氏は1996年に兄の和也氏と共にナギサビールを設立し、それからずっとビールを作り続けていましたが、ナギサビールの経営が軌道に乗ったことを機に、自分のブランドビールを作るべくナギサビールを退職し、会社を立ち上げました。
ボイジャーの名前は、1977年に行われた太陽系外惑星・太陽系圏外探索プロジェクト「ボイジャー計画」と、それによって打ち上げられた探査機「ボイジャー1号・2号」に由来します。公二氏は自分のブルワリーの名前を宇宙に関するものにしたいと考えており、すでに商標登録されているものを避けつつ考えた結果、この名前になったそうです。ボイジャーは太陽系外まで進出しており、既存の居場所を離れて公二氏が作ったブルワリーの名前にぴったりです。
田辺市を選んだのは、ナギサビールとの競合を避ける他に、近畿地方で最も面積が広い市であり、人口も和歌山市に次いで多く、それでいてクラフトブルワリーは一つもないという立地であったことが理由とのこと。
使用する水はナギサビールが使う富田の水と同様に、熊野を水源とする「紀州熊野の命水」。醸造設備はカナダ産の装置を直輸入したものを使っています。
個人創業のブルワリーは、税率が安い発泡酒の醸造免許を取ってから始めることが多いのですが、ボイジャーでは最初からビールの免許を取得してオープンする意欲を見せています。
醸造所にはショップが併設されており、中にはバーのような長いカウンターを持つテイスティングコーナーがあります。ボイジャーブルーイングの定番ビール2種類に加え、燻製ミックスナッツやチョコレート、チーズといったおつまみメニューも提供されているので、ちょっと一杯ひっかける気持ちでビールの試飲ができる場所です。
ボトルビール以外に、オリジナルグラス(5種類)や栓抜き、王冠の缶バッチやマグネットなどのグッズも購入できます。
ブルーウッドブルワリー
ブルーパブ「ブルーウッドブルワリー」は、有田ミカンで有名な有田川町にある酒店「青木酒店」が2017年に開業しました。「ブルーウッド」は「青木」の青(Blue)を醸造(Brew)と掛けて、木の「Wood」を掛け合わせた洒落た命名です。
店主の青木氏は飲食店への仲卸を中心として酒を販売していましたが、他の酒屋との差別化が難しく、若い世代も酒屋では酒を買わず量販店に行くため、先行きに不安を抱いていました。何とかしてほかの店との違いを作らなければいけないと考えていた青木氏は、一番売れているお酒がビールであることから、ビールを作ることを考えつき、ビールの醸造を決意したそうです(ご自身がビール好きであったことも大きな理由の様です)。
仕事の合間に岡山の吉備土手下麦酒へと勉強に行って知識と技術を学び、ついに2017年6月19日に酒類等製造免許(発泡酒)を取得しました。オープンしたのは8月の23日。まだ3カ月とたっていない出来立てほやほやのブルーパブです。
ちなみに吉備土手麦酒は青木氏のような醸造化を志す人への開業支援事業を行っており、見事開業できた場合は、そちらと商品レシピや製品を融通する仲間になります。ブルーウッドの開店により、吉備土手下麦酒の仲間は12軒にもなりました。
パブは青木酒店のすぐ隣にあり、非常にわかりやすい場所です。パブの内装はおしゃれで明るいヨーロピアンな雰囲気。カウンター席の他、一人用のテーブル席、6人掛けのテーブルなどがあり、一番奥のテーブル席からはガラス越しに醸造所が見られます。
メニューには、出来立てビールはもちろん、枝豆、冷やっこ、タコわさといった飲み屋定番メニューから、トルティーヤチップスとサルサソース、フィッシュ&チップス、アヒージョ、バーベキューチキンなど、いろいろ揃っています。
青木酒店の方にも立ち飲みが出来るカウンターバーが設置されており、パブが閉まっている時間でもビールを飲むことが出来ます。ボトル製品も用意されているのですが、これはまだ地元での販売が主体であり、ネットでの通販はしないそうです。まずは地元での知名度を高めるのが重要という事です。
ビールは、イギリス産の麦芽に、アメリカ・チェコ・イギリスのホップを組み合わせて使用し、有田川の上質な水「有田川神聖水」で仕込んでいます。
ラインナップはみかんや梅などを使用したフルーツビールが主体で、ピルスナーやペールエールは作っていません。甘く口当たりがよいビールは若い女性にも人気が出そうです。
次回は兵庫県のクラフトブルワリーを紹介します。