7月30日は梅干の日です。
日本有数の梅の産地、和歌山県にある東農園が制定した記念日です。
この頃になると新物の梅干が食べられるようになることや、梅干は健康によく、梅干を食べると難が去るといわれ、「なん(7)がさ(3)る(0)」の語呂合わせも含めています。
7月30日にその年の恵方を向いて梅干を食べると難が去るともいわれ、梅干を食べることで健康で快適な生活を過ごせるようにとの願いが込められています。
中国からやってきた梅
梅は中国が原産の果樹です。
その梅が日本に渡ってきたのは1500年ほど前のこと。
飛鳥時代に、薬用の「烏梅(うばい)」として、中国から渡ってきました。
烏梅は青梅を燻製・乾燥させたもののことで、カラスのように真っ黒なことからその名がついたといわれています。
烏梅は現在でも漢方薬のひとつとして扱われています。
日本に梅が入ってきた頃、まず花が人々の関心を惹き、果実を利用するようになったのはその後だといわれています。
実際、万葉集には梅の花を詠った句が数多くあり、その数は118にも及びます。
梅干が初めて日本の書物に登場するのは平安時代になってからのこと。
鎌倉時代以降は梅の実の多くが梅干しとして食されるようになり、また、薬用としても重宝されるようになります。
紀州の梅栽培の始まり
今でこそ紀州の梅は有名ですが、和歌山で梅が盛んに植えられるようになったのは江戸時代のこと。
痩せた土地は免祖地となることから、そこに梅を栽培するようになったといいます。
また、紀州の田辺領が、痩せた土地を利用した梅の栽培を奨励・保護したことから、田辺や南部を中心に栽培が広がったともいわれています。
江戸時代中期をすぎると、紀州から木材や木炭、みかんとともに梅干しが江戸へと送られるようになりました。
そして、それまで梅を食べる習慣のなかった江戸の人々が梅干しを食べるようになり、それが全国へと広がったことでさらに需要が高まっていきました。
当時の梅干しは、塩分が20%もあるしょっぱいものだったといわれています。
赤紫蘇を使った赤い梅干しが一般的になったのもこの頃だといわれています。
梅干しとお酒といえば……
梅干しにお酒といえば、やはり「焼酎の梅干し割り」をまっさきに思い出すのではないでしょうか。
その相性もさることながら、梅干しのもつ酸が、胃腸へのアルコールの刺激を和らげてくれる効果が期待できるため、悪酔いしにくいのだとか。
梅の爽やかな香りと、その酸味のもつさっぱりとした味わいが癖になる飲み方です。
多くの居酒屋のメニューにありながら、使う焼酎や飲み方の自由度が高く、自分好みの飲み方をアレンジできるのもいいところです。
どんな梅干しを使い、どんな焼酎を合わせるか、水割りかお湯割りか、梅を崩すかどうかなど、自分好みにどんどんカスタマイズしていきましょう。
梅干し割りに使いたい焼酎
そんな梅干し割りに使う焼酎は、自分好みのものをチョイスしたいところですが、あまりクセのないものが向いています。
クリアな味わいの甲類焼酎や、クセのない麦焼酎、ほんのりと甘みのある米焼酎などがよく合います。
クセのない焼酎は、家で晩酌する時に1本用意しておくと重宝します。梅干し割りだけでなく、レモンサワーやソーダ割りなどでさっぱりと美味しくいただけますよ。
梅干しは、元々薬用として伝わってきて、現在でも漢方薬のひとつになるほど健康にいいもの。
酸っぱくてしょっぱい味わいはお酒にも合わせやすく、ごはんのお供だけにしておくのはもったいないですよね。
冒頭に書いたように、梅干の日の頃は、今年漬けたばかりの新物の梅干しがそろそろ出来上がる頃です。
その梅干しを使って梅干し割りを作るのもいいですね。
自分好みの焼酎を合わせて、自分好みの飲み方で、ゆっくりとその味わいを楽しみたいものです。