亀田の柿の種の日には、ドライなビールで気軽に晩酌を

10月10日は亀田の柿の種の日です。

新潟県に本社を置き、おせんべいなどの米菓を製造販売する亀田製菓株式会社が、柿の種発売50周年を記念し、2016年に制定した記念日です。

10月10日の「1」が柿の種、「0」がピーナッツに見えることからこの日になりました。

柿の種のおいしさをさらに多くの人に味わってもらうことを目的とした記念日です。

乾き物のおつまみの定番「柿の種」

柿の種はいわゆる「乾き物」と呼ばれるおつまみの中でも、定番中の定番ともいえる米菓。

歴史は古く、大正時代に金型をうっかり踏み潰して変形させてしまったことから、柿の種に似たあられができたというのが、柿の種の始まりと言われています。

新潟県長岡市で生まれた元祖の柿の種は、大阪のあられづくりを関西出身の青年に学んだことから、敬意を評し「浪花屋」の屋号を名乗り、販売されています。

今のように柿の種をピーナッツと合わせて食べるようになったのには諸説あり、帝国ホテルのバーがサービスとしてナッツを出す際に、日本らしさを考えて柿の種を合わせて出したという説や、亀田製菓の直売所で、創業者の妻が店番をしていたときに、思いつきでピーナッツを一緒に食べたのが始まりという説などがあります。

「フレッシュパック柿の種」が起こした革命

柿の種は、一度袋を開けてしまうと、ピーナッツの油分が酸化し、味が劣化してしまうことがメーカーの悩みとなっていました。

亀田製菓は1977年にそれまでの大袋から、小袋のマルチパックにした「フレッシュパック柿の種」を発売。

小袋にすることで、いつでも開けたての味を保つことが可能になり、家族みんなで食べるものから、個人消費や行楽時のおつまみなど、さまざまな食べ方が生まれました。

さらに、アサヒスーパードライが発売されたときに、ビールのおつまみとして大人気となり、亀田製菓の売上は3倍に増加。

一躍業界でトップの売上を誇るようになりました。

「ドライ戦争」の引き金を作ったビール

柿の種の売上の増加は、アサヒスーパードライをはじめとする「ドライビール」とは切っても切れない関係にあります。

昭和から平成にかけて起こった「ドライ戦争」の引き金になったのが、アサヒスーパードライであり、その洗練されたクリアでドライな味わいは、他の追随を許さなかったといえます。

使用する麦芽をギリギリまで減らし、スターチの比率を高めることで生まれるスッキリとした味わいは、発売されるやいなやあっという間に火がつき、一大ブームとなりました。

そのスーパードライも、2017年に発売開始から30周年を迎え、ロングセラーの商品として根強い人気を誇っています。

今もなお進化を遂げる、アサヒスーパードライ

発売して30年を超えるアサヒスーパードライですが、30年間何も変わらないわけではありません。

2013年には全面改良を行い、アサヒビール独自の酵母管理技術を導入し、キレと泡のきめ細かさを1割向上させ、2014年には新仕込み技術により飲みごたえとキレを向上。

さらに2018年には泡もちとキレがさらに良くなるなど、品質の向上を図っています。

以前のイメージであまり好みではないと思っている人も、試しに飲んでみると、以前よりもぐんとおいしくなっていてびっくりするのではないでしょうか。

お店でどのメーカーがいいか聞かれたときに、あまりスーパードライを選ぶことがない場合は、次の機会には試してみるのをおすすめします。

自宅でビールを飲むときに、手軽に取り出して食べられる「亀田の柿の種」。

食べきりパックで無駄にすることがなく、いつでもおいしく食べられるのが嬉しいですね。

最近は梅やわさびといった、違ったフレーバーのものも売られていて、飽きることがありません。

気軽なおつまみと切れの良いスーパードライは、家にあるとちょっぴり楽しくなる組み合わせ。

今夜も仕事が終わったら、よく冷えたビールと柿の種で気軽に晩酌を楽しみましょう。

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