6月23日は沖縄慰霊の日です。
1945年のこの日、沖縄本島にアメリカ軍が上陸し、同年の4月に始まった本格的な沖縄での戦争が終結しました。
6月23日は日本軍の沖縄守備隊の司令官が自決し、組織的な戦闘が終わった日でもあります。
慰霊の日には糸満市の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行われ、正午には黙祷が捧げられます。
今も残る激しい戦闘の爪痕
沖縄戦は1945年の3月26日に始まり、沖縄本島を中心に激しい戦闘が行われました。
陸海空のそれぞれで、米英の連合国軍を相手に行われた戦闘は、那覇市の北方にある首里での厳しい激戦だけでなく、戦艦大和や空軍の特攻隊をもつぎ込むものでした。
1945年の5月末に首里司令部が陥落し、日本軍は南部に撤退しました。
6月23日に司令官の牛島満が自決したものの、英米両軍の掃討作戦は続き、7月2日に沖縄戦終了を連合国軍が宣言するまで攻撃が続きました。
沖縄には数多くの戦跡が残っており、沖縄北部の伊江島や南端の摩文仁まで、その激戦の爪痕が今も色濃く残る場所を見つけることができます。
沖縄を訪れるときには、平和を願いながら訪れたいですね。
沖縄慰霊の日に給食で戦争を学ぶ
沖縄慰霊の日は沖縄では休日になりますが、その前日になると小中学校では「慰霊の日献立」が登場する学校もあるのだそうです。
メニューはふかし芋やそぼろ豆腐に雑炊、パインの缶詰といった簡素なものが出され、戦中戦後の貧しく苦しかった人々に心を寄せるきっかけとなっています。
毎日を生きるのに懸命だった人たちのことや、戦争が引き起こす悲劇について、子どもたちが考える機会として食事から入るのはいい考えかもしれませんね。
戦火に巻き込まれた沖縄のお酒
沖縄が激しい戦闘の地となることで、犠牲になったのは20万人の戦没者や、戦火をかいくぐって生き延びた人たちだけではありませんでした。
沖縄に古くから伝わる島のお酒、泡盛も例外ではなかったのです。
泡盛は琉球王朝がいにしえの昔から大切に育んできた独自のお酒です。
18~19世紀頃には泡盛の製造を王府が管轄して、厳しく味や品質を保護してきたことから、とても質の高いものが造られていました。
しかし、第二次世界大戦が始まり、沖縄本島で断続的に行われる砲撃で、泡盛の酒蔵も瓦礫の山と化し、酒蔵そのものだけでなく、もちろん貯蔵されていた古酒も焼失してしまったのです。
泡盛は古いものを新しいものに継ぎ足す「仕継ぎ」をすることで、古酒の持つ熟成した香りや豊かな味わいを保ちながら、泡盛そのものを劣化させないようにする手法が取られています。
沖縄戦の戦火で、代々仕継ぎに使われていた古酒のかめだけでなく、泡盛を醸造するのに不可欠な黒麹菌すらなくなってしまったのではと言われていました。
現在の泡盛は戦後酒造所跡地で見つかった、ニクブクという稲わらで作ったゴザの中から見つかった黒麹菌を使用しているといいます。
東大で見つかった黒麹菌を使った幻の泡盛
どうにか戦後に復活した泡盛でしたが、戦前に造られていた泡盛と現在のものでは違うのではないかと言われていました。
そんな中、1998年に東京大学分子細胞生物学研究所から、瑞泉酒造で1960年に採取された「瑞泉菌」の標本が生きたまま保管されている事が発表され、翌年にはその菌を使った泡盛造りが瑞泉酒造で始まりました。
それまでの醸造方法にさまざまな工夫をこらし、原料米1トン分のみの試験醸造を開始。
商品化に成功したのが「瑞泉 御酒(うさき)」です。
もちろん古酒ではなく新酒なのですが、フルーティな甘い香りと、雑味がなくまろやかできれいな味わいで、現代の人にも親しみやすい泡盛になっています。
沖縄慰霊の日には、激戦で犠牲になった人々や、その戦火を生き抜いた人々に想いを寄せ、平和を願いながらこんな泡盛を味わいたいですね。