7月26日は【せんべろ忌】酒を愛し酒に愛された中島らもに献杯するならこのお酒を

7月26日は【せんべろ忌】酒を愛し酒に愛された中島らもに献杯するならこのお酒を

7月26日はせんべろ忌です。

この日は小説家で劇作家でもあった中島らもの忌日で、お酒が好きだった中島らもが好んだ「千円でベロベロになるまで飲める」値段の安い居酒屋の愛称をとり、この名前になっています。

中島らもは「せんべろ探偵が行く」を没年の前年である2003年に刊行しています。

小説や広告など、着実にキャリアを積んだ半生

中島らもは1952年、兵庫県尼崎市で生まれました。

中島らもという名はペンネームで、苗字は本名から、名前は無声映画の剣戟俳優である羅門光三郎から取ったのだといいます。

1975年に大阪芸術大学を卒業後、大阪の印刷会社に就職し、広告の制作や営業を担当して身を立てていました。

その頃初の著書となる「全ての聖夜の鎖」を1979年に自費出版しています。

印刷会社を退社してからは、コピーライターの養成講座に通い、広告代理店に転職。

雑誌でコピーの広告連載を始めて、一躍時の人となります。

これがきっかけでエッセイの執筆依頼や、ラジオの出演依頼が殺到するようになりました。

ラジオに演劇、執筆と、幅広いフィールドでマルチに活躍

中島らもはラジオのパーソナリティとして番組に出演するようになると、新聞でも人生相談のコーナーを持つようになります。

独自のユーモアを交えて相談に回答する「中島らもの明るい悩み相談室」が朝日新聞の大阪版に掲載されると大人気となり、全国版での連載になりました。

1986年には「笑殺軍団リリパットアーミー」という劇団を結成し、自身も俳優として活躍するだけでなく、戯曲やエッセイ、小説や新作落語、テレビのバラエティ番組の脚本などを数多く執筆するようになります。

切っても切れない、中島らもとアルコールの関係

非常に多くの作品を残した中島らもですが、その人生は躁うつ病とアルコール依存症との長い闘いの日々でもありました。

特にアルコール依存症に関しては、17歳には飲酒を始めたと後に語っており、晩年に至るまで、長い間治療をしながら執筆活動を行ってきたことが分かります。

実際に、アルコール依存症の患者が主人公の小説もいくつか残しており、そのリアリティにハッとさせられる人もいるのではないでしょうか。

「お酒がごはんで薬がおかず」とインタビューで語っているように、52年の短い生涯をお酒に捧げてしまったことは間違いがないように思います。

酒神に魅入られた人生は、酒によって閉じる

中島らもの作品にはさまざまなお酒にまつわる話が出てきますが、その中でも印象的なのは、「今夜、全てのバーで」の冒頭のシーンです。

アルコール依存症の主人公が依存症の治療のための入院をする前に、最後の1杯としてワンカップの日本酒を味わう描写が出てきます。

この小説の最後には、バーでミルクを頼むシーンが描かれていますが、実際には小説の主人公のようにはいかず、中島らもはゆるやかに飲酒を再開、最終的には酩酊して酒場の階段から落ちたことが原因となり、亡くなります。

小説に描かれたお酒で献杯を

酒神に魅入られ、お酒の虜となって命を落とした中島らもの生涯は、同じようにお酒を嗜むものとして教訓となるものでもありますが、お酒を愛し抜いたその生涯を、忌日に献杯するのにふさわしいのは、やはりワンカップの日本酒ではないでしょうか。

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ワンカップの日本酒は、コンビニで購入できる大手酒造メーカーのものから、小さな地方の蔵元が作るデザインの可愛いものまで今は種類もさまざま。

好みのものを見つけ出して献杯すれば、良い夜の幕開けになるのではないでしょうか。

お酒を愛し抜き、さらに自身もお酒に愛された、才能ある中島らもという作家の忌日は、ぜひ自分を戒めながら、その楽しさについて改めて考えてみたいですね。

 

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