11月21日はフライドチキンの日です。
1970年のこの日、ケンタッキーフライドチキンの日本1号店が開店したことにちなんだ記念日で、1号店となったのは愛知県名古屋市西区にあった、ダイヤモンドシティ・名西ショッピングセンターの店舗でした。
ケンタッキーフライドチキンは、世界規模で店舗展開をするフランチャイズビジネスを世界で初めて行った会社でもあります。
なかなか浸透しなかったフライドチキン
1970年に初めての店舗が出来たばかりの頃は、フライドチキンは日本ではあまり知られておらず、そのせいもあってか、1号店は開店してわずか半年で閉店してしまいました。
しかしその後、徐々に店舗数を増やし、店舗数の増加に比例するようにフライドチキンのおいしさは日本人にも認知されるようになっていきました。
2020年には日本で開店して50周年を迎えましたが、アメリカで1939年に創業した当時と変わらないスパイスの配合や製法で、そのレシピはごく一部の人にしか知られていないといいます。
個人でお店の味を再現するのはちょっと難しいかもしれませんね。
そもそもフライドチキンとは?
アメリカの食べ物というイメージが強いフライドチキンですが、どういった経緯でこの料理が食べられるようになったのか紐解いていきましょう。
アメリカで食べられているフライドチキンはもともと、アメリカ南部の黒人奴隷たちのソウルフードとして食べられていたものでした。
アメリカ南部に移民としてやってきたスコットランド人が伝えた鶏肉の料理が、当時の使用人だったアフリカ系アメリカ人に伝わり、現在のようなスパイスをふんだんに使って作る調理法が確立していったのだといいます。
当時鶏肉は牛肉よりも高級で、骨がなくあっさりと上品な味わいの胸肉は白人が食べ、骨の多い部位はフライドチキンにして黒人の使用人たちが食べていたのです。
なぜなら、使用人たちが食べていた肉はただ骨が多いだけでなく、鮮度が良くなかったりするために、時間をかけて揚げることで食べやすくなるということや、当時のヨーロッパでは、揚げ物は労働者や低所得者の食べ物と考えられていたのです。
ヨーロッパからアメリカにやってきた白人たちは、フォークとナイフを使って食べられる胸肉を好み、手羽や脚はスープを取ったら捨てる部位で、食べることはなかったといいます。
20世紀中頃までは、フライドチキンは南部の黒人奴隷の食べ物として嫌われ、富裕層の白人は食べることがなかったのだそうです。
しかし、黒人の使用人たちは、白人の農園主などの料理人として、やがてその家の調理を任されるようになり、次第にヨーロッパ系アメリカ人の間でも食べられるようになったのだといいます。
フライドチキンを食べながら飲むならやっぱりこのお酒!
アメリカ南部の黒人奴隷の食べ物だったフライドチキンですが、今では多くの人が親しむようになり、世界中の人達に食べられています。
それならアメリカ南部のお酒をと考える人もいるかも知れませんが、実はアメリカ南部は敬虔なクリスチャンが多い関係で、アルコールは忌避される傾向にあるのです。
ただ、ニューオリンズのあたりではバーボンの蒸留所などもいくつかあり、ライウイスキーを使った「サゼラック」という、世界最古といわれるカクテルが生まれたのもニューオリンズです。
サゼラックに使われるのは、サゼラック・ライというスパイシーな香りのライウイスキー。
これにアブサンやペイショーズ・ビターズとともに、角砂糖を加えるのが定番のレシピです。
フライドチキンにしても、アルコールにしても、黒人奴隷の食べ物だから、クリスチャンだからと忌み嫌うのは、もったいない話です。
フライドチキンの日には揚げたてのフライドチキンを買ってきて、世界最古のカクテルを楽しむのもいいかもしれませんね。